桐朋学園大学大学院 
佐伯藍さん(修士1年)
桐朋学園大学大学院
佐伯藍さん(修士1年) 
 昭和学院には、幼稚園の年長の頃から中学校まで通いました。幼稚園時代は「やりたい」と言ったことはなんでもやらせてもらえたことが記憶に残っています。大好きだった先生の名前は今でもおぼえていますね。小学校も、生徒一人ひとりの個性を伸ばしてくれる環境だったなと思います。特に図書館司書の先生や保健室の先生はよき相談相手で、私にとっては“戻る場所”のようなところでした。
 昭和学院には、幼稚園の年長の頃から中学校まで通いました。幼稚園時代は「やりたい」と言ったことはなんでもやらせてもらえたことが記憶に残っています。大好きだった先生の名前は今でもおぼえていますね。小学校も、生徒一人ひとりの個性を伸ばしてくれる環境だったなと思います。特に図書館司書の先生や保健室の先生はよき相談相手で、私にとっては“戻る場所”のようなところでした。
 中学校時代は、みんながそれぞれに自分の得意なことに打ち込んでいて、キラキラ輝いて見えました。特に部活が盛んで、部活ごとの先生と生徒の絆も強かったですね。文化祭では、新体操部や吹奏楽部など全国大会優勝レベルの部の発表会がありましたが、本格的で毎回立ち見が出るほどの人気でした。会場の一体感はすごくて、とても印象に残っています。
 多くの生徒は昭和学院高校に進学しますが、私はバイオリン奏者になるのが夢だったので音楽専門の高校に進学しました。周りは知らない人ばかりでなかなか打ち解けられず、昭和学院高校に進学した子たちがうらやましかったですね。でも、先生方が「いつでも戻っておいで」と言ってくださるのがとてもありがたかったです。昭和学院は、私にとって今でも“戻る場所”なのです。
 中学校時代は、みんながそれぞれに自分の得意なことに打ち込んでいて、キラキラ輝いて見えました。特に部活が盛んで、部活ごとの先生と生徒の絆も強かったですね。文化祭では、新体操部や吹奏楽部など全国大会優勝レベルの部の発表会がありましたが、本格的で毎回立ち見が出るほどの人気でした。会場の一体感はすごくて、とても印象に残っています。
 多くの生徒は昭和学院高校に進学しますが、私はバイオリン奏者になるのが夢だったので音楽専門の高校に進学しました。周りは知らない人ばかりでなかなか打ち解けられず、昭和学院高校に進学した子たちがうらやましかったですね。でも、先生方が「いつでも戻っておいで」と言ってくださるのがとてもありがたかったです。昭和学院は、私にとって今でも“戻る場所”なのです。
 今は、昭和学院中高の弦楽部で、トレーナーとして後輩たちを教えています。大学に入った時に、音楽に関する仕事をしたくて、部活動の顧問の先生に直談判して雇っていただいたのです。今年で5年目になりますが、卒業した子たちとも未だにつながりがあるのが嬉しいですね。最近、コンテストの実績を買われて千葉県の代表として外部のコンサートメンバーに選ばれた弦楽部の生徒達から「佐伯先生のおかげです」と言ってもらえたときはとても嬉しかったです。
 この夏、世界各国から集まった演奏者で構成されるオーケストラのメンバーに選ばれ、ドイツ国内を中心にヨーロッパ各地で演奏をする音楽フェスティバルに参加することになりました。海外の方々と演奏をすることもヨーロッパに行くことも初めてなので、とてもわくわくしています。
 これからもずっと演奏者として活躍し、昭和学院の先生や生徒たちも気軽に聴きに来てもらえるような演奏者でありたいですね。
 今は、昭和学院中高の弦楽部で、トレーナーとして後輩たちを教えています。大学に入った時に、音楽に関する仕事をしたくて、部活動の顧問の先生に直談判して雇っていただいたのです。今年で5年目になりますが、卒業した子たちとも未だにつながりがあるのが嬉しいですね。最近、コンテストの実績を買われて千葉県の代表として外部のコンサートメンバーに選ばれた弦楽部の生徒達から「佐伯先生のおかげです」と言ってもらえたときはとても嬉しかったです。
 この夏、世界各国から集まった演奏者で構成されるオーケストラのメンバーに選ばれ、ドイツ国内を中心にヨーロッパ各地で演奏をする音楽フェスティバルに参加することになりました。海外の方々と演奏をすることもヨーロッパに行くことも初めてなので、とてもわくわくしています。
 これからもずっと演奏者として活躍し、昭和学院の先生や生徒たちも気軽に聴きに来てもらえるような演奏者でありたいですね。
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